『遠い場所から』班員日記

はじめまして、石名班『遠い場所から』で監督助手とスクリプトをしている石川寛之です。

12月があったのかわからないくらい早く、気付いたら2021年になっていました。クランクインが12月の頭でそれまでシミュレーションや脚本やその他諸々をやっていて本当に光速でした。一体何があったのかわからないくらいです。

頭がまとまってないまま書くので非常に読みにくいとは思いますが、ご了承ください。。。

撮影がはじまりかけの頃まで、映画制作がこんなにも一つ一つ説明を求められ、頭を使い説得力について考えるものだとは思っていませんでした。カット割にしても脚本推敲にしても演出にしても全てにおいて。この授業で初めて映像制作をするのですが、もともと持っていた映画作りのイメージとのちがいをずっと感じています。「なぜ?」と問うこと/問われることが、残忍なのか本質なのかすら、わかりません。何か意見をいうにしても、どう説得力を持たせたらいいのか、現場のスピード感の中で、考えているうちにどんどん時間は進み、口をつぐむだけになってしまい、参加できないし、自分の気にしていることが、今気にするべきことなのかすらわからない状態に度々陥ってしまいます。さらには考えているうちに思考停止してしまう瞬間もあり、各所に対して本当に申し訳なく思います。。。。既に別の話題になっていなかったら幸いですが、結局自分の口から出た言葉が、本当に自分の奥底からでたものなのかわからずフワフワしたままで、混乱を招いてしまう。。自分の意見を言う時の説得力とハキハキ感と、ひとの話を聞くことが、こんなに難しいとは、この授業を通して改めて実感しています。映像や演技や脚本に対して自分の感じたこと等を言語化することがむずかしいのは、私が映画を本当に見ていないからなのではないかと思い、今まで見てきた好きな映画を見直したい気持ちです。でも好きな映画は本当に好きで、ただ「なんかいいな」で終わっているのかもしれませんが、この授業を通過したことで、映画の見方が変わることが少し怖かったりもします。でも映画を実際に作っている時に今までの私の映画に対する態度ではだめなのかもしれないと、「観客」ではいられないと思っています。とりあえず好きな映画を見返したいです。

授業のことに戻ります。実際に完成された映画を観ているとすんなり流れるアクションつなぎや人物の移動を追うことや俳優の動きやカット割や全体のテンポを作り出すことが、こんなにも難しくて様々な行程を踏まなくてはいけないということに驚きましたし、実際につながった映像を見てみるとその不自然さに、自分の無力さを突きつけられるし、普段見ていた映画をもっとじっくり見なくてはとも思います。私は監督助手として演出のサポート等をしているのですが、脚本推敲の際も演出サポートの際も、問題点を指摘することはできるのですが、じゃあどうしたらいいの?の具体的な提案をすることが今まで全くできていないのです。石名さんと映画の内容ではなく現実にある感情についての話をすることは、今まで誰ともしてこなかったので楽しい反面、具体的な提案ができないので申し訳ない思いもあります。「じゃあどうしたらいいの?」を自問自答しながら問題点を見つけるのですが、本当に具体的なものが想像できない。それが悔しいです。

自分の無力さと言葉や行動の無責任に関しては、本当にどうしたらいいもんだか、わからないです。「監督助手」のお仕事をいただけたのは、本当に嬉しいし身が引き締まる思いだったのですが、具体的なアドバイスができないで混乱を招いてしまったりで、本当に申し訳ないです。この役職がはずっと不思議な立ち位置で今でもわかりません。授業のTAの梶田さんからアドバイスを頂いた後はやるべきことがかなり明快になったのですが、立ち位置が不思議なのは変わりません。。助監督のようなことをしたり、ほぼ毎テイク、映像をチェックさせてもらって石名さんに何かあったら伝えたりと、、。現場でこんなにフラフラしているのは自分だけかもしれないです。毎回自分の仕事のつかみどころを探るのは楽しいが、それが全体の流れの中にあるのか、今でもわからないです。他の班員がやるべき仕事をやっている中で自分は何をやっているんだと、思います。家に帰ってからや電車の中、好きな作家の演出論みたいなのを延々と読み返していましたが、やはり具体的なものが想像できない。演出に関しては特に、どう動いたらこう見えるのか、を考えているのですが、なかなか思い浮かばないものだし、本当に難しい。。。

それでも班員の人たちといる時間は本当に楽しくて、この時間がもっと続けばいいのにと思ってしまいます。甘い考えかもしれません。班員との関係をどう形容したいいのか、表したいが、本当にわからないです。今までにない人との付き合い方をしているので。サークルの友達や高校の友達はお互いのことをお互いの言動を通して知ることができるが、班員とは、脚本や製作に関わることばかり話しあってお互いが生身で接近しあうことはあまりありませんでした。この映画以外の話をしたのは12月に入った頃くらいからだったので、その時はすごく新鮮だったのを覚えています。その人の、知っているようで、知らない一面が当たり前の形で出てくるのです。同じ授業をとっている他の学生であることには間違いないのですが、接近の仕方が他の授業と明らかに違います。自分じゃない自分同士が作品を介して予め接近することが強制されている関係と言ったらいいのでしょうか、前期はずっとオンライン授業で実際に対面したのがたしか9月の半ばくらいだったこともありますが、身の上話をほぼしないのに、私たちは何をこんなに話し合っているのか、しかも私の場合自分の話そうとしていることがかなり個人的なことと言うか、内側のことと言うか、普通の友達だったら時間が経つにつれて自然に出てくるもしくは出てしまうことであり、はじめましての時期には絶対に話の内容に入らない隠したいものだったりしたので、全く知らない人の前で作品に関する意見を言うのに、違和感を抱えていました。しかしそれは自分自身話ではないので、隠したいという感情は少ししかないです。私たちの間に共通してある『遠い場所から』という文脈の中に私たち一人一人のエッセンスが入っていて、それが宙に浮かび自分とは離れた外側に存在しているから、近いようで遠く、遠いようで近い関係性を班員に対しても感じるのかもしれないです。その言葉で言い現しにくい関係がずっと続いていましたが、なぜか他の人たちに対して、なりたての友達や浅い関係の友達のような印象はなくむしろ、どこか、親しみを感じています。なのでサークルや他の友達といる時の自分とは、どこか無意識に変わっていると思います。こんなにフラフラを感じるのもそのためかもしれないです。でもこの場合は、お互いが溶け合おうとしていないのに、意志とは関係なく溶け合っている。その不思議な関係は、助監督の山下くんが言っていたように、まさに「愛おしい」関係です。この巡り合わせを起こしてくれた『遠い場所から』には本当に感謝しています。

最後にロケ地に関して。私はロケハン担当でもあったので、本当に多くの方々にお世話になりました。私の1番のお気に入りのロケ地である家を貸してくださった鈴木家から帰る道は、撮影後の焦燥感や失望の道でもありましたが、駅につく直前の坂から見えるホームの反対側の景色があまりにもきれいなのでいつもほっと一息つけます。本当にいい街なのでいろいろ探検したいです。以上で終わりです。現在も製作が進行する中で書くブログでもあり、人生初ブログなので、何を書いたらいいのかわからないまま書いてしまいました。お許しください。

上映会まで本当に後少しですが、まだまだやらなくてはいけない作業が山ほど残っているので悔いの残らないよう、頑張ります。ありがとうございました。

石川寛之

2021.1.4(月)